沖縄・慰霊の日 [その他]
6月23日は『慰霊の日』。
それは沖縄にとって特別な日です。
このブログを始めてから、何度かこの日について、
そして私の「平和」へ対する思いを綴ってきました。
『慰霊の日』とは・・・
一般住民を巻き込み、20万あまりの尊い命と財産や、沖縄の文化財、自然がことごとく奪われた沖縄戦は、太平洋戦争で、唯一、日本国内の一般住民が地上戦を体験したという、
まさに地獄そのものでした。
沖縄戦における20万人を越す戦死者のうち、約半数に近い、じつに9万4000人余りの戦死者が、兵隊以外の一般県民や子供です。この沖縄戦で、沖縄防衛第三十二軍司令官牛島満中将と同参謀長の長勇中将が糸満の摩文仁で自決した日が昭和20年6月23日の未明とされているのです。そしてこの日を、日本軍の組織的戦闘が終結した節目としてとらえ、沖縄慰霊の日が制定されました。
(http://www.tai-ga.co.jp/johositu/minijoho/sonota/ireinohi1.html より引用)
ここに出てくる『牛島満中将』の名を私は中学生の時に知ったと思います。
その時の印象は正直、良いものではありませんでした。
それが、『牛島満中将』の名前を認識して30年近く経って、
彼のお孫さんが東京で平和学習に携わる教師だと言う事を
友人から教えてもらい、感慨深く聞きました。
それと同時に、戦争で亡くなった兵士・一般住民の一人ひとりに
そうした家族がいて、人生があって、希望があっただろう事に
今更ながら胸を締め付けられる思がしました。
もしかして、このブログを読まれる方々にとっては
この『慰霊の日』は、それに触れた日だけの事かもしれません。
それでも構わない。
少しでも、沖縄戦での人々の『思い』を想像してもらえたら・・・
沖縄に生まれ育った私にとって
その『思い』は今でも日常の日々の中にあるものです。
戦争で家族が犠牲になり、
戦中・戦後を生き抜き、
まさに地獄を見てきたであろう80、90歳近いオジィ・オバァ達が
毎年、梅雨明けした真夏の刺すような日差しの中
6月23日の「慰霊祭」に参列している姿を見る度に
ただただ涙が出ます。
今年の慰霊の日を前に
娘達の通う小学校の『平和集会』と言うものを見学する機会を得ました。
2年生の子が書いたメッセージがとても印象的でした。
『みんなえがおで びょうきもなく けんかもせず 生きていく。 かがやいていく。』
そう。生きていかなくちゃ。
そして、かがやいていかなくちゃね。
小学生は大人が思うよりもっと深いところで『平和』を考えているのかもしれないなー。
毎年、・・・そして毎日、恒久平和を願っています。
子供達の願いに負けないくらい。